鉄腕アトム(1960年代)の第34話「ミドロヶ沼の巻」は一部しか現存していない。
「ミドロヶ沼の巻」は「多忙な虫プロダクションの社員の為に、夏休みを取ろう」とした手塚治虫が、立ち上げ間もないスタジオ・ゼロにグロス請け(下請けの制作会社に1話分まるごと制作を任せること)したという作品。
スタジオ・ぜロは鈴木伸一、石ノ森章太郎、つのだじろう、角田喜代一(つのだじろうの兄。電通勤務)、藤子不二雄(藤子不二雄A、藤子・F・不二雄)と一人の社員により設立、のちに赤塚不二夫も参加したアニメーション、漫画の制作会社である。
しかし、鈴木伸一以外のメンバーは絵心があるとはいえアニメ制作はまったくの素人であり、おまけに本業の合間に作画に就いていた為か、シーンごとにそれぞれの絵のタッチが著しく際立ってしまった。
鈴木伸一は、この回の初号試写の際に手塚が渋い顔をしていた、と語る。
その結果、アトムのアップ場面など、虫プロダクションで幾つかのシーンのリテイクをする羽目になり、結局夏休みは返上となってしまう。
それ以後、虫プロダクションはゼロに発注する事は無かったそうだ。
又、この回は放送後に紛失し、長らく幻の回となっていた。
一説には、「そのあまりの出来の悪さのため、手塚治虫が処分した」とも言われていた。
しかし、後にアメリカ合衆国に残っていたフィルムが発見された。
そして、虫プロの倉庫から「ミドロ~」の原画と音声テープも発見され、このフィルムにオリジナルである日本語版の音声テープを組み合わせ、DVDボックスの特典映像として収録されたという。
「ミドロヶ沼の巻」は「多忙な虫プロダクションの社員の為に、夏休みを取ろう」とした手塚治虫が、立ち上げ間もないスタジオ・ゼロにグロス請け(下請けの制作会社に1話分まるごと制作を任せること)したという作品。
スタジオ・ぜロは鈴木伸一、石ノ森章太郎、つのだじろう、角田喜代一(つのだじろうの兄。電通勤務)、藤子不二雄(藤子不二雄A、藤子・F・不二雄)と一人の社員により設立、のちに赤塚不二夫も参加したアニメーション、漫画の制作会社である。
しかし、鈴木伸一以外のメンバーは絵心があるとはいえアニメ制作はまったくの素人であり、おまけに本業の合間に作画に就いていた為か、シーンごとにそれぞれの絵のタッチが著しく際立ってしまった。
鈴木伸一は、この回の初号試写の際に手塚が渋い顔をしていた、と語る。
その結果、アトムのアップ場面など、虫プロダクションで幾つかのシーンのリテイクをする羽目になり、結局夏休みは返上となってしまう。
それ以後、虫プロダクションはゼロに発注する事は無かったそうだ。
又、この回は放送後に紛失し、長らく幻の回となっていた。
一説には、「そのあまりの出来の悪さのため、手塚治虫が処分した」とも言われていた。
しかし、後にアメリカ合衆国に残っていたフィルムが発見された。
そして、虫プロの倉庫から「ミドロ~」の原画と音声テープも発見され、このフィルムにオリジナルである日本語版の音声テープを組み合わせ、DVDボックスの特典映像として収録されたという。
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